BABYMETALを生んだAMUSEとは?(1)
今回は、BABYMETALを生んだ、AMUSE(アミューズ)の話です。
もちろん、私的で勝手な解釈です。
1977年渡辺プロダクション(ナベプロ)で当時キャンディーズのマネジャーだった大里洋吉(以下敬称略)が、キャンディーズの引退を契機に、キャンディーズの音楽プロディーサの松崎澄夫(のちにAmuseの取締役社長に就任)達と共にアミューズ(AMUSE)を設立しました。
wikipediaによると、キャンディーズは、東京音楽学院でスクールメイツのメンバで「八時だよ全員集合」などに出演していましたが、当時渡辺音楽出版に所属していた、松崎澄夫(のちのアミューズ社長)が、東京音楽学院をたまたま訪れ、教室に入ってきたキャンディーズの3人を見て「かわいい子がいる」と目を留め、キャンディーズの歌手デビューを決定したとのことです。(BABYMETALのばんばんばばんはドリフからのものでしょうか?)
1977年渡辺プロダクション(ナベプロ)で当時キャンディーズのマネジャーだった大里洋吉が、「八時だよ全員集合」への出演の問題で、番組プロデューサやナベプロと対立したそうです。
キャンデーズの「普通の女の子に戻りたい!」発言で、絶頂期に解散が決定し、解散と合わせて、大里洋吉によって、アミューズが設立されました。
公私共にアイドルでいることを求められ、好むと好まざるにかかわらず、休む暇もなく、働き続けていた、キャンディーズの女の子たちを身近で見ていた大里は、二度と同じことが起こらないように、独立したのではないかと推測します。
BABYMETALは、、SNSの公開も禁じて、私生活と芸能活動を完全に切り離し、私生活を一切覗かせない姿勢で、学業もきちんとフォローされているように感じます。Moaは少しは存在を示したいように見えますが。
アミューズは今では、株式会社として一部上場の企業にまで成長しています。アミューズに所属するアーチスト達も、皆、自分の専門分野を磨き、専門分野での活動に対して報酬を得ることができるようにして、専門外の活動は極力させないよう、徹底しているように感じます。大里洋吉は、芸能人も普通のサラリーマンと同様に、仕事とプライベートをきちんとわけたかったのではないかと思います。
大里洋吉は、ナベプロ時代に、英国へ視察に行っています。現地で公演を見たり、プロディーサやアーチストとの交流を通じて、新たな発想が芽生えたのないかと推測します。
アミューズは設立後、原田真二のサポートから始まったようです。当時はまだ、芸能会社が主体で音楽を主導する時代に、原田真二のおしゃれでポップで、斬新な楽曲の提供によって、J-POPの起点となりました。当時から何か新しいものを作りたかったのですね。
1970年代の日本のシンガーソングライターたちが、自作の『うた』を英米のロックを取り入れる手法で、表現した新しいポップスの呼称をニューミュージックというらしいです。
そして、次の時代がやってきます。
1978年6月、サザンオールスターズがアミューズからデビューし、次のバンドブームの先駆けとなりました。
(サザンのビデオはYoutubeにほとんどありません)
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